愛の日記


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この世のステージで問題の解決を図ろうとしない ―後編― 2018年11月14日(水)

宇宙人の多くは地球のことを「悲しみの星」と呼んでいるそうです。本当に宇宙人がいるかどうか私にはよくわかりませんが、それでも無数のUFOを何人かの知人と一緒に見たことがあるので、あれが地球製とは思われず、どこかに宇宙人はいるとは思ってはいます。そのうちのどの宇宙人かはわかりませんが、地球が悲しみの星、、、であると。よくわかっているとしか言いようがありません。

なぜ、地球が悲しみの星なのか、、、それは、私たちが目にし、感じ、見ていると思っているものが、幻想だからです。このことを私は占星術から知ることができました。占星術は自分と誰との相性がいいとか悪いとか、、運気がどうのこうのとかいうポピュラーな部分だけではない、深い真理に根付いているのです。

ユングも占星術と出会い、非常に夢中になります。彼の心理学のかなりの部分と占星術は深く関連しています。私自身はそうしたユングにおける占星術理解とは別に、個人的に理解したのですが、占星術が宇宙の学問と言われ、やがて訪れるみずがめ座の時代の学問であると言われることの意味がよくわかります。

歳差現象がみずがめ座を示すこれからの2000年は、我知る、、の時代で、迷妄が過ぎ、人はこれまでだまされていたことを知る時代となります。宗教、信念、科学、医学などあらゆる学問や知識が、実は本当は嘘を土台にしたマインドコントロールの中で培われたものであったと、人類はやがて知るようになっていきます。

占星術を通せば、それが見事に理解できるのですが、その最初の関門で多くの人が躓いてしまうのです。

突然、あなたの見ている世界は嘘で、あなたが感じている世界も嘘。と言われたら、確かに誰もが感じ悪く思い、忌避したくなるでしょうし、逆に嘘だと思われかねないこともよくわかります。

これまでの2000年はアイビリーブという我信ず、、、の時代でしたので、事実はどうでもよかったのです。事実よりもあたかも事実であるかのうように見せ、そう思わせられれば、目的は達成される時代だったのです。

すべてがこの方式ですすんできました。あたかも真実に見せれば良いのです。要するに騙しです。あたかも良い品に見せる、、、これは宣伝が担当します。

あたかも良い時代だと思わせる、良い国だと思わせる、、、これは国家宣伝が担当します。どちらが良いかを際立たせるためには、社会主義と自由主義にわけましょうと、かなり大掛かりでした。

良いものをあたかも悪いものと思わせる、、、これは良い人や良い国が出てきたときに逆宣伝する人たちが担当します。カダフィ大佐などは、かなり良い面があり、良い政策を行っていたようです。

あたかも真実の宗教のように思わせる、、、色々な宗教が生まれましたが、どれも世俗的で集票マシンになっていく傾向が世界的にあります。

あたかも体に良いように思わせる、、、健康食品全盛、健康志向全盛、その通りやると大体は体を壊します。

あたかも衝突したように思わせる、、、、飛行機が本当に当たってビルが壊れたのでしょうか。

あたかも永遠に値上がりするように思わせる、、、、株幻想も土地幻想もいつかは剥がれますし、何度もそうなってきました。仕掛けた人だけは儲かります。

あたかも幸福そうに思わせる、、、、なのに電車は毎日人身事故で止まっています。電車に乗っている人たちもみんな不機嫌そうです。

あたかもあたかものやり方です。あたかもは本当は嘘なんです。本当などどうでもいいのです。あたかも本当のように見せればいいのです。マスコミもあたかもニュースを配信し、芸能界もあたかも世界を見せつけます。

これが、今の私たちの時代の原理です。この原理によってすべてが動いています。だから地球は悲しみの星なのです。

しかしなぜそのようなことが起きて、また、通用してしまうのでしょうか。ここに大きな意図があるのです。何も会社や国や組織が悪だくみをして、人や人類を悪意でだましているわけでもないとも思うのです。そうではなく、むしろ私たちが自分をだましているのです。国や組織や社会はそれに合わせ、私たちをうまく利用しているだけです。

自分が自分をだましている、、、、まさかと多くの人は思います。私は自分をごまかしてなどいません、、、と多くの人は思っています。しかしそれは本当でしょうか。本当に私たちは自分の目で物事を見ているでしょうか。本当に自分の体感で物事を理解しているでしょうか。もしかしたら、それは与えられ、あたかもそうなるように見えるものを見せられて、そうだと思っているだけではないでしょうか。

占星術では、私たちが常日頃感じたり、見たり、思っていることは、ほとんどが嘘だと考えます。

先日行った月のセミナーでの主題もそれでしたが、参加者ははじめいぶかしく感じ、やがて、それが嘘でないとわかるに従い、自身の中にあった、長年、そうだと信じてきた現実が、もしかしたら違っていたという衝撃を受けていました。

占星術ではその人が、常々、どういう思いで周囲を眺めているのか、、常々、どういう感情が心を支配してしまうのか、、、を具体的に上げることができます。占星術を学べば、それはわかります。

人の心は千差万別で、ものごとの捉え方が人によって違うのです。しかし、一人の人にとっては、その捉え方は、常に一定であり、常に同じで、常に同じ反応をしてしまうのです。

五感への不快感を世の中を感じる第一関門にしている人にとっては、嫌な臭いがする、、、まずい食べ物だ、、、いやな着心地だ、、、いやな音だ、、、ということが、気になって仕方ないのです。また、他の人は、まず第一に、自分は誰とあわそうか、、、そこに居る人とどう接しようか、、、と人間関係がうまくいくかどうかだけを世界の第一関門にしてしまう人もいます。

大勢の人が集まっている時、一人はいやなにおいがする、、、と真っ先に思い、、、もう一人は、誰と話したらいいかと心を動かす、、、自分の服装への反応を真っ先に思う人もいれば、何を話そうかとそのことばかり考える人もいる、、、それこそ千差万別な思いがうずまくわけですが、その人の反応の仕方はいつも同じなのです。

一人の人間がまっさきに受け取る感じ方は、生まれてこの方、常に同じなのです。自分がどうみられているか、、、と気にする人は、常にいつでもそのことを通して世界を最初に見ているのです。

損してはイヤだと思う人は、常に損しないかとばかり世界を見張り続けているのです。

常々の思ってしまう感情や印象への反応は、占星術では月の星座が行うのですが、それらの印象はすべて本当のものではないのです。

何を言っているのかわからない人も多いかと思いますが、とても恐ろしいことを言っています。人は常々考える考え方や感じ方があり、それはほとんど一生変化しない、、、という考えはわかると思います。三つ子の魂百まで、、、という言葉があるくらいですから、ほとんどの人の中にある、まず、最初に感じてしまうパターンがあるのです。

そこまでは、大体は認めてくださると思います。怖いのは次なのです。その感じ方、世界の捉え方、それを自分の個性だと思う気持ち、、、それらが、本当はすべて嘘だというのです。それは与えられたバイアスであって、あたかも自分だと思っている人格や感情が本当ではない、与えられた嘘のものだとしたら、そこから派生する希望も夢も未来も実現することはありませんし、そこから喜びがもたらされることもありません。

占星術ではそれが月の働きであると私ははっきり理解したわけです。しかしほとんどの人は占星術など知りませんし、そこに示された内容を自分自身にあてはめようなどと思うわけがないと思います。それはそれで当然なのですが、占星術に限らず、人は誰もが、こうした第一関門でもって、周囲や社会を眺めているという事実には目を背けるわけにはいきません。

そして、その第一関門の入り口で感じた世界や印象は、すべて間違いであるというスタート地点に、人間は置かれているという恐ろしい構造をしているのです。

自分が常々感じているものが、これが自分だと思う思いが嘘だとすれば、一体私たちは何を信じたらいいのかと戸惑います。インチキな世界に生きている悲しさ、、、というのはわかりやすいですが、そうではなく、インチキな目で世界を見るように生まれついている悲しさなのです。

そしてそれが見事に利用され、色々なあたかもが出回ってしまうのです。それは、真実よりもあたかもそう思いたいという私たちの需要にこたえる形で、広がり、正当化されて行きます。

そしてその構造を悪や国家や組織がうまく利用して、私たちから色々なものを奪い取るために利用していくのです。

自分は母としての適性があり、子供のことを常に心配し、世話をやく良い母だとのイメージがあったとします。それが本当である場合は何の問題もないのです。

しかし、そのイメージが本当は嘘で、その人には母としての能力などなく、子供の世話や心配をするにしても、実はそのことが重荷で、逃げたいというのが本心だったとしましょう。

しかし良き母のイメージを信じている本人は、自分が良き母だと思いつつも本当は苦しいわけです。嘘なのですから。そのためつい家を出て色々な場所に行き、子供や家からの心理的負担を遠ざけたくなります。そして動き回る母となりますが、今度は家を空けているという負い目から、ことさらわざとらしく母を演じたりするなど、とにかく複雑になります。

これが、占星術ではかに座の月なのですが、もしかに座の月の人が、家や家族の世話が本当は心理的負担になっているということに気づけば、自身の良き母の印象操作をする必要もなくなり、心理的に楽になります。

その結果、「なんだ、私は確かに母であることが重荷だったんだ、、、」と気づくことで、「ダメな母だな」と思いつつ、むしろ子にやさしく接せられるようになっていきます。

事実に立脚した考えや行動は安定していて安全なのです。しかし、月のかに座の人があくまでそのことに気づかず、自分を良き母として振舞おうとすれば、自身がつらくなりますし、偽りの母像を投げかけられる子供も心理的に曲がらざるを得なくなっていくでしょう。

例はあくまで占星術の月の例ですが、このような形で、占星術と関係ない方でも、必ず自分に対するイメージを自分自身で持っていて、それを本当の自分だと勘違いするところから始まっているのです。それがこの地球の宿命のようになっています。

フリーエネルギーを知らず、物しかないと思う星では仕方ないこととは言え、こうした逆転の構図の世界で生きることを私たちは余技なくされています。無から物が生じ、無からのエネルギーが途絶えたら物は無くなります。その順番が逆になって考えているのが今の人間なのです。話しを月に戻しますが、月は最初の自分のイメージであり、その後、成長と共に、本当の自分自身をイメージではなくて現実として獲得していく人もいます。そうなれば人は、月イメージで自身を捉えなくなり、その人の感じ方や捉え方、考え方には安定感がでてきて、信頼できるようになります。(この部分だけなぜか色が赤になってしまってます)

占星術ではそれが太陽です。ここでは占星術を知らない方がほとんどですので、詳しい話しは省きますが、要するに自己実現していく方向の自分を自分と捉えていれば、この世のだましの要素に振り回されることは少くなります。

覚醒です。人類に覚醒されたら、今の文明は持ちませんし、変わらざるを得なくなります。(なぜかまた赤字)

嘘の自分のイメージで自分を見つめ、世の中を見ている人と、嘘でない自分自身で生きている人の違いには大きいものがあります。その違いは占星術を通せば明快ですが、占星術を通さずともはっきりしたサインがあります。

間違ったイメージで自身を捉えている人に共通のものが、下記です。

神経質そうに 不機嫌そうに 面倒くさそうに イライラしながら 不安げに
心配ばかりしながら 疑い深そうに 用心深そうに 皮肉そうに 威圧的に
事務的一点張りで 怯えながら 消え入りそうに 嘘っぽい明るさで 自慢げに うるさく 干渉的に 図々しく 暴力的に 意味なく明るく 嘘っぽく元気で 未来のことばかりで 自分のことばかり 

まだまだたくさんありますが、要するにマイナスイメージを信じて抜け出せない時、その感情に支配されて行う際に、伴う感覚や感情です。

偽りのイメージに自分が捉えられている中での行動や思索は判断や決断には、必ず上記の感情が伴っています。そしてそれらを伴いつつ行ったものは、必ず失敗に終えますし、何ひとつ得るものがありません。本当に何ひとつなのです。

母に向かない人が好い母に見せても、何ひとつ良いことなど起きないのです。大変なだけで。しかし、その人が自分には良き母なる能力などないと理解し、良き母たるものを求める生きかたを止めたとき、子供はかえってのびのび育ち、自身も元気となり、子供との関係性にも深いものが形成されていくのです。

しかし、私たちは誰でも、まず最初は偽りの自分イメージからスタートするようになっているのが、この地球の運命です。なぜだか私もわかりません。しかしそのようになっています。どこかで、自分が思っている自分が本当の自分とは違うのだ、、、ということを、前述したイヤな感情体験を思い出し、チェックし、常々そこにはまらないようにすることで、人生そのものが違ってきます。

偽りの人生から手ごたえのある本物の自分の人生を生きられるようになっていきます。その際に必要なことは、この世のステージでのありきたりの解決を求めず、無とも思える自身の心の中を探る以外に道はないのです。

すぐに手応えのあるものは、慣れたものばかりです。これまでの心躍らないすべてのパターンを捨て、一度自身をむなしいものに置いてみることで、私たちは無を体験できます。

自分には何もない、、、自分には力もない、、、心細いそうした自分を正直に受け入れ、それをどうにかしようとしないで、すぐに安心の道を求めないで、しばらく味わってみることで、私たちは割とよういに無に到れます。

会社や家が行き詰ったとき、みんなで話し合うと良いでしょう。しかし、最初に出てくるものは、この世的な、嘘に慣れ親しんでしまった心や常識や、せいぜいそんなところから出てくる考えばかりなのです。

それでもそれを続けることで、これじゃだめだな、、、これも同じだな、、、と、段々と追い詰められ、何もなくなっていく流れが出てきます。

それでいいのです。そして何もない、、、助けもない、、、アイデアもない、、、みんなが無となった瞬間に、新たなものが出てくるのです。訪れるのです。

無からしか出てこないものが、これまでの闇と迷妄と嘘と常識やそれにはまった自分、そして自分を含むそこに居た全員に突然のエネルギーを与えるのです。

こうした体験を通して私たちは第一関門として常に与え続けられていた間違ったイメージ像の世界から旅立つことができます。

そのきっかけは、無にしかありません。出すものを出し、これまでのやりくりのすべてを出しきり、そのあとに観念して無となり、それによってしか出てこない世界があるのです。それがリアリティです。

世の中は本当はこの力によっていつでも動いているのです。秀才の頭のよい勉強ができる人が新しいものを作ることはしません。その力は維持するには向いているかもしれませんが、新しいものは絶対に生み出しません。頭の良い人は、自分の中からしか新しいものは出てこないと信じているからです。しかし頭の良い人の中にあるのは、学んで知ったことだけで本当は空っぽなのです。SDカード一枚にも満たない知識を買いかぶる必要などありません。

私たちには、真実を見抜くせっかくのセンサーが与えられています。本当の深いところで、苦しさや、イヤな感情を伴いつつ行うものは嘘なのです。それで行ったことはすべて失敗しますし、その人に向いてないのです。

そろそろまとめましょう。
私たちが行き詰ったとき、これまでの慣れ親しんだ感情に逃げ込まない
私たちが行き詰ったとき、これまでの知識や常識で解決しようとしない
私たちが行き詰ったとき、すべてをあきらめてみる
私たちが行き詰ったとき、何も解決策はないが、それでも気楽にいてみる
私たちが行き詰ったとき、どうにもならないが、感謝してみる

これは頭の良い人にはできないことですが、これで解決しない未来があったとしたら、神様に文句を言えばいいだけです。頭の良い人は、なんだ、ただ何もしない、、、というだけではないかと思うかもしれません。そうなんです。何もしないで無になれば、必ずエネルギーは訪れ、新しい展開は始まります。何もしない、、、先の母の例でいえば、偽りの母でいる間は、何かせずにはいられないのです。何もしないとは、何もしないでいられる素の自分を得た人だけができるのです。そのためには、まず、幻影の自分に振り回されなくなることです。気楽、感謝、あきらめ、、、それが最高の智に至る道ですが、できる人は少なく、幻影を捨てた際に訪れる心境なのです。子供ならすぐに無になれますので、子供が本当の教師なんです。動物もそうですね。


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11月25日の「月のセミナー」はズーム形式です。月を知り、そこから自由になることで人生が変わります。
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