愛の日記


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いわく言い難い世界とつながる生き方



明治150年にあたり、偉い人たちは大政奉還を 2018年10月10日(水)

私が生まれ育った町には、三菱自動車があり、その前には勝海州と西郷隆盛の会見を記念する石碑がありました。おそらく今もあると思います。

その場所は田町駅のすぐ近くの国道沿いですが、両者はそこで江戸城無血開城をまとめました。これにより、江戸城は無事に明け渡され、大政奉還が成就したことになります。

あれから150年。今、再び偉い人たちの大政奉還が必要だと思います。

まず、家やビルや町や道路を作ることは、国家の根幹にかかわる大事業ですので、当然、大手の建設業界を中心にして、その下にくる無数の土建屋さんたちの会社がつらなります。景気活性化と言えば、そうしたところにお金をつぎ込むことが政府の景気活性化対策でした。

お陰様で、私たちの町や村には縦横に道が通り、大変便利になりました。社会インフラ面からみても、日本の道路はきれいでよく整備が行き届いています。グループ企業や仲間内だけで利益を守った面はありますが、今の日本がきれいに整備されたことは、そうした政策と企業のお陰です。

しかし、考えてもらいたいのですが、これからもまだ同じやり方で道をつくり、ビルを建て、新幹線を縦横に走らせても、そんなには、もう儲からなくなってはいないでしょうか。税金がこうした事業に当てられるわけですから、大手企業にとっては良いかもしれませんが、それでも利益は出にくくなっているはずです。その証拠と言っては悪いかもしれませんが、オリンピックなどの名目を使って、ここぞとばかりお金を浪費する。

昔のようにあまり大きな儲け口がないので、オリンピックにすがったりすることになるわけです。

そこでどうでしょう。もうビルも道も新幹線もオリンピックも限界に近づいていますし、国民の目線からみても、もういい加減にしろよ、、、の声が増大してきています。何より、公害の問題や自然破壊、資源の限界もあるわけですので、これ以上の道づくりやビルづくりや新幹線を作ってもあまり意味はありませんし、国民の同意も得られにくくなっていきます。
いっそのこと、道路行政や建築の大企業には、この際大政奉還をしていただき、これまでと真逆の政策に変更したらどうでしょう。

これまでは、荒野に道を通し、鉄道を敷き、駅を作り、町をつくり、家や工場を作って儲けてきましたが、今度は、それらをまた元の自然に戻し、美しい国や地球に戻していく。これまでの150年の作っては儲け、自然を壊してまで作って儲けてきましたところを、今度は反対に自然を復活させて儲けて欲しいのです。

そうすれば、無尽蔵の仕事が待っていますし、嘘のように儲けられます。しかも国民は皆手を叩いて喜びます。大政奉還した偉い人の邸宅の前を、子供たちはお辞儀して通るようになるかもしれません。

これ以上、自然と大地を壊して儲けるのには反対だが、自然をまた復活させることで儲けるなら、それは尊敬される企業になることを意味します。大政奉還です。真逆で行き、しかも尊敬までされる。

人を不幸にして儲けるよりも、人を幸福にさせて儲ける方が、伸びしろがずっと大きい時代に入ったのです。大政奉還を急いで欲しいと思います。

次の偉い人と言えば、やはり製薬会社や医療機関がそれにあたるでしょう。お陰様で、手術の技術は神業にまで達し、昔なら死んでいた人を助けたり、生き返らせることもできるようになりました。素晴らしい薬が劇的に効いて、人々の体の痛みを立ちどころに取り去り、しかも保険制度のおかげもあって、比較的安い金額で病院に行くことができるようになりました。

この150年の間に果たした、製薬会社、医療関係企業などの働きは本当に特筆できるものがありました。しかし、薬や医療の弊害も大きなものになりつつあり、すぐに病気で死ぬ人は少なくなったものの、多くの半病人を作っている現状は、無視できなくなっています。

巨大な組織を維持するために、このままいけば人を助けるよりも、人を病気にさせた方が儲かるというおかしな方向にいかないとも限りません。人を助ける薬や医療が、人を苦しめる方向に行く前に、大政奉還が必要なのです。

大手製薬会社のトップ、医療行政のトップ、それにかかわるあらゆる偉い人たちが、態度を改めて大政奉還をした際には、国は最高のもてなしを持ってそれら偉い人を迎え、保護し、国民からもあがめられるようにしたらどうでしょう。医療の闇、製薬の闇を追求するよりも、大政奉還した偉い人は、民族の英雄として列挙し、その功績をたたえる、、、彼らはすでに大変な金持ちですので、それらの保全も約束し、問題のある医薬一切の大政奉還を行う。それによって、国民はたちどころに健康で長生きになることでしょう。

国民の健康と長生きの最大の貢献者として、教科書にも載ってもらう。そうなれば、医療や製薬によって殺された幾多の無念の魂もやっと安らぐことができる。また国民から本気で尊敬されるようになり、決して悪い話しではないと思います。お金などは腐るほど彼らにはあるのですから、あとは、本物の名誉と尊敬が必要なはず。大政奉還して誰一人、損する人などいないのです。これをやりましょう。

同様に、食事行政においても、大政奉還が必要でしょう。とくに戦後の食にかかわる変化は激しいものがありました。西洋の食事が入ってきたお陰で、私たちの体も本当に立派になりました。昔ならすぐに腐ってしまったものも、今では腐らずに食べることができ、本当に便利になりました。

しかし、便利になったのは素晴らしいことですが、便利が優先しすぎて、ついつい体に悪い影響を与える添加物などが多くなっており、その弊害の方がややもすると大きくなりつつあります。

ここは思い切って、食にかかわる偉い人たちに大政奉還をお願いしたいのです。人に健康な食を与えることに、国は率先して融資し、貢献度によって多額の補助やお礼を出す。食にかかわる企業は、人を健康にさせればさせるほど、国からもお金がもらえ、何より、国民がこぞってそうした食や食品を選ぶことになり儲かる。

大政奉還した食にかかわる偉い人たちは、民や子供たちの健康と成長を守る偉大な母、と呼ばれるようになり、赤ちゃんや子供を持つ母たちは、大政奉還した偉い人の邸宅の前に立ち止まり、祈って行くようになるかもしれません。

心ない食によって死地に追いやられた幾多の魂も、その姿を見て涙を流し、歴史の流れを喜ぶことでしょう。

教育機関でも、法曹界でも、マスコミでも、同様の大政奉還が起こり、かつての8月15日をもって軍国日本が終えたように、人を不幸にして儲けるあらゆるシステムは停止し、大政奉還によって、今度は人を幸福にし、健康にさせ、喜びおおいものにすることで、これまでの150年間よりいっそう儲けられる世の中を上の人は作ればいい。そうすれば、官僚も喜んで働き、国民は喝采する。そのためにはあらゆるところでの大政奉還が必要です。儲け話しでもあるのですから、できないわけがないのです。目先の近欲に目がくらんでいるからわからないだけで、よく考えれば、もっと大きく儲かるし、喜びが広がるのです。

人を不幸にして儲けるところを、幸福にして儲ける方向に変えるだけ。不安しか見ようとしないバカが現状にしがみつきさえしなければ、簡単にできることなのです。

では、現代の勝海舟と西郷隆盛は誰か、、、どなたか心ある偉い人に、ひと肌抜いていただく以外にない。その日が近づいていると思います。


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重力から自由になる 2018年10月08日(月)

 あらゆる問題はエネルギー不足から生じるわけですが、別の言い方をすれば、あらゆる問題は重力につかまることから生じる、とも言えます。

重力から自由になれれば、私たちの生活も人生も生き方も変わります。

子供時代は比較的私たちは重力から自由で、自分の体重を感じることはあまりありませんでした。家の中でも野原を駆け回る際でも、自身の体が重たいと感じることは少なかったはずです。それが加齢と共に、立ち上がる時など「よいしょ」と掛け声をかけるようになり、重力の負担が大きくなっていきます。

しかしそんな老人でも、大好きな孫が遊びに来た時などは、孫を抱きかかえ、孫の体重をつらく感じることはありません。

またいくつになった人でも、飛び切りの嬉しいことや喜びがあった際には、体の重さを感じなくなって、元気に飛び跳ねたりします。

筋肉の衰えや体力の衰えだけではない重力の法則が働いているかのようです。

これらから言えることは、まず、物質や肉体は時間の経過と共に、重力につかまりやすくなると思います。しかし、そんな場合でも、嬉しいことや喜びがあると、その時だけは体の重さが消えていくわけです。

物理的な意味での重さがすべてではなく、重さや重力は人の気持ちや意識と深い関係にあることがわかります。

加齢により自分の体が重たく感じられるようになるのは、時間が重力に捕まるため、過去という概念が生じるからでしょう。時間が重力に捕まらなければ、おそらく過去というものは存在しないと思います。私たちが思う過去も未来も幻想なのかもしれません。

体を加齢と共に重たく感じるようになるのも、若い頃の体の軽さ=過去との対比であり、自身を物質的であると思うほど自身を重く感じていきます。老人になるほど「よっこらしょ」状態が増えるのは、自分が物質であるとの思いこみがそれだけ大きくなるためです。
しかし、私たちは体よりも意識が大元にありますので、自身が意識であるとの状況に至れば、あっという間にその時、老人の体重は軽くなっているわけです。

こう考えていくと、あらゆる問題の解決には重力から自由になることがあげられると思います。

重力が拮抗すれば無重力になりますが、その原理を肉体組織は巧みに取り入れているため、体重がないかのように動物や私たちは体を動かすことができます。

さらに、自分が意識であると思えば、体重は軽さを増していきます。私は意識である、、、と思って椅子から立ち上がれば、比較的楽に立つことができますが、自分は肉体であると思って立ちあがろうとすれば、重く感じるることになります。

重力から自由になることがすべてのカギを握っていると言っても良いでしょう。

まずは、自分が意識であるとの認識。次に血流が体重の認知度に非常に大きく影響を与えます。血の状態、そして血流の状態です。

地球では海流と川の流れがそれにあたります。地球の血液は水です。水のエネルギーが不足し、海流に力がなくなるとあっという間に寒冷化が始まりもするでしょう。

意識が大元であり、次に人は血、地球は水。血流が良くなれば、体は軽くなります。重力からかなり自由になる方法がありますので、また改めてお話しさせてください。

 
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たちどころに元気になる方法 2018年10月02日(火)

 元気であるか元気でないかは、その人の生命エネルギーが豊富かどうかで決まります。

人がたちどころに元気になる方法があれば、それは大変有望なことですし、必要なことです。実は簡単な方法があるにはあるのです。私もそのセミナーをどうしても開きたくて企画したことはあるのですが、その都度スタッフの反対にあって実現しませんでした。

反対されるには反対される理由があるのです。色々な誤解を生むためです。とくに性に関したことになると、興味本位やひやかし、無理解がどうしても出てくるため、素直に性に関したことはオープンにできない面があります。

国家などにとっては、性の規制が民心掌握の基本にあり、どの権力も性を自分らが管理できる位置に置いておくことが重要でした。民意で性が自由が横行してしまうと、権力を維持できない仕組みがあるのです。明治政府の最初にやったことも混浴禁止令の徹底でした。

人の自由をしばるのが権力ですから、性はその際、筆頭に挙げられる監視すべき事柄なのです。なので、強圧的な組織や強圧的な家庭や国家においては、性の監視が重要なテーマになってきます。国民が性について自由な印象を持つことを抑圧し、性について自由に話したり関心を抱くことを敬遠させるムードを醸成したいのが権力者なのです。家でも国家でも。

そして性はいかがわしくて、暴力やポルノなど、問題あるものだという位置づけを作ります。国家や権威は性がそう扱われた方が本当は有利なのです。表向きの規制は行いますが、そうやって危ないものだと思わせて、性と人間を切り離したいのです。

民衆の精神的で高度な喜びと性の自然な喜びを、ゆがめた方向にもっていくことは、権威者の本心で願っていることだと思います。そうでないと支配できないためです。

さて、そんなどうでもよいことはこれくらいにして、では、どうすればたちどころに人は元気になるのか、、、の本題に入ります。性と関係するためについ前置きが長くなりました。

フロイトはエネルギーを取り込む簡単な方法として、いやらしい絵画を飾っておくこと、、、と言っています。写真じゃダメなんです。絵画でないといけません。

男性にとっては女性の裸の、しかもその男性が非常にいやらしく感じる絵画でないとダメです。女性にとってはこうしたことのハードルは高いと思いますが、それでもいやらしく、凄く刺激されるような絵画を探してみることです。

ただほとんどの人がここで断念してしまうことでしょう。しかし、実際にやってみればきっとわかると思います。何となく、元気になっていく自分に気づくからです。

フロイトの言うことは本当なのです。もっとも抑制されている本当の衝動、それをフロイトはリビドーと言いましたが、人は喜びがなくては生きたしかばねです。人を生きたしかばねにしない、最高のものがリビドーであり、人はそれを求めて生きています。なので、そこを抑圧されたら、人は人として、自分らしく生きることは不可能なのです。

それを得るもっとも簡単な方法がいやらしい絵を見ることだというのです。さすがフロイトです。あのひげの気難しそうなフロイトが、いやらしい絵画に見入っていたと思うと、けっこう楽しいですね。しかし多くの人はそうは思わないのです。まさか、、、あんな立派な紳士が、、、と。こうして権力は性の圧力政策を浸透させる形で近代化を行ってきたわけです。

私たちの健康はケミカルによっておとしめられ、私たちの食は添加物などでおとしめられ、私たちの性の喜びも、本来はまったく関係のないポルノなどで間違った方向におとしめられています。近代化とは、人の喜びをことごとく奪う政策だったわけです。

さて、フロイトはいやらしい絵画でのエネルギー補給の可能性に言及しましたが、私が考えた方法はさらに効果的だと自負したい思いです。

あっという間にエネルギーが体中に充ち、楽しくて仕方なくなってきます。(ただし拒否反応を示す人はどうしてもいるにはいると思いますが)

その方法を伝授します。セミナーは反対でできないので、その方法を伝授することで、あとは個々人にお任せしようと思います。

いやらしいストーリーを考えて文章にすること。

その際に、テーマを決めることが大切です。やみくもにいやらしい話しを書けと言ってもかけるものではありませんので、テーマをその都度決めるのです。例えば、星の王子様は、色々な星を旅しますが、その星はみんないやらしい星だと決めておくのです。

星の王子様は決していやらしい王子様ではないので、その王子様が見たことによる面白さは奇想天外に達します。また、王子様を通すことで、不思議な客観性というか、危ないことも公平に語れる安心感のようなものが出てきます。ストーリーの中で、自分が何もいやらしい存在になる必要はないのです。客観的に人物を作り、その人が見たいやらしい世界を書くこと。

以上、ルールは二つです。

① なんらかのテーマ性を持たせる。
② 自分ではなく、客観的な主人公が中立の立場で見たいやらしい世界を描く

以上です。例として星の王子様は上記の条件を満たしています。王子様は性のことをよく知らない存在なので、見たことをただ正直に語れるわけです。ということは、どんなことでも偏見なく語り知らせることができるわけで、こちらも王子様という人格を通すことで、最も深いいやらしさに到達できることになります。

① のテーマ性は、遊園地でもいいし、色々な家庭を覗き見る透明人間でもいいし、日頃の生活環境の中から自由に考えてください。通勤でも通学でもいいし、学校や会社の行事などを取り上げ、一番いやらしいことで展開すればいいわけです。どんな遊園地が一番いやらしいのか、、、どんな通勤電車が一番いやらしいか、、どんな運動会が、、、というように。

私がやりたかった幻のセミナーは、星の王子様になってもらい、色々ないやらしい星をめぐるというもの。一話が書けたら名前が分からないようにして物語を集め、誰が書いたか分からないまま、それを発表します。

第二話、第三話、、、と進むうちに、異様な自由感覚が芽生え、参加者はあっという間に元気になるという想定です。いやらしい話しを集団ですると、必ず、皆元気になります。これは体験ある人ならわかると思います。その高度な方法がこうした文章化したものを皆で書き、それを読み合う会というわけです。もちろん一人でもできます。

性とはデリケートで複雑で個別性そのものの世界です。なので秘められた形でいることが自然ですが、現代ではゆがめられた性のまま閉じ込められてしまっていますので、そこを多少でも解放されるなら、とても気持ちが自由になると思います。

元気のない人は、必ず性を閉じ込めています。これを解放させることで元気になるのは、もっとも早く人が元気になる方法でもあります。

フロイトが提唱する絵画という方法でもよいし、私が言う、ストーリー方法も良いと思います。ストーリー方法は、文章力が無い人でもまったく自由に書けるはずです。リアリティがあるからです。文章に限らず、リアリティに触れれば、人は自由で元気になっていくのです。夜寝る前に一話づついやらしい話しを展開していけば、気持ち良く眠りにつけると思います。

バカらしいと思う気持ちは当然ですが、それでも実際にやっていくと、あっという間に元気になっている自分に気づくはずです。私たちは自分が考えている自分と異なる面が本当はたくさんあるのです。その可能性に蓋をしてしまう日々の暮らしが、私たちをいつしか元気ない存在にしているのです。そのことに気づく意味でも、こうしたバカげた取組みは必要なのです。
 

健康立国 2018年09月26日(水)

藤原直哉先生はこれから日本人が目指す方向性の、もっとも重要なものとして、国民の健康を取り戻すことに主眼を置いています。健康立国と言っても良いかもしれません。藤原先生がおっしゃる健康立国には、働き方など、社会組織面での健康も含まれますが、ここでは、体の健康について、お話しさせていただきます。

これから自分を含む仲間や家族が、しいては世界の人がどのようにして健康を取り戻していくかを、私は構造的に考えてきました。

健康を取り戻すためには、なぜ不健康になったのか、、、の視点に立つ必要があります。病気になったら治すことに力点が置かれてしまい、医者に任せきり、、、というのがこれまでのパターンですが、本当にそれで良いのでしょうか。

病気になるには、なった理由があるはずです。そこに視点が置かれれば、なぜ自分が病気になったのかが理解でき、それとは異なる考え方や生き方に力点が置かれていくはずです。

病気は神様がくれた白紙の手紙、、、という言葉を聞いたことがあります。それを読み解くのが病気の人の務め、というわけです。

この時、個々の不注意や意識や考え方が、病気の原因になることは当然ですが、それと同時に、あえてそのような状態に持っていこうとする力や風潮が社会にあることに気づかないとまずいのです。

社会は、本気で私たちの健康を考え、それに沿うように作られたり、運営されているのか、、、という視点でもあります。結論から言いますと、本当に悲しいことではありますが、社会の風潮、マスコミの性格、企業体質、国家体質は、一部では一生懸命やっている善意の人もいるのは事実ですが、おおむねは、私たちの健康が損なわれる方向に進んでいます。

そうしないと物が売れない、、出世できない、、、利益が上がらない、、、ということなのでしょうが、よく目を凝らして見ると、それは悪魔的でさえあります。

不健康不安恐怖本位制で、この世は動いています。ユングが戦前にドイツ国民の中に敵意と憎しみが高じてきているのをみて不安に思うのですが、その際にはっきりと、「この世は悪魔が動かしている」と言います。
戦前はユングのような天才的な人にしか見えなかったものも、今では、私たちが注意深く社会を見つめるだけで、「こりゃ、悪魔だよ、、、悪い奴が上にたってるよ」と、簡単に見抜けるようになりました。その意味では私たちも利口になっているのかもしれませんね。

いいにくいことですが、私たちは不健康にさせられている、と言っても良いくらいのことが今の私たちの社会や世界で起きています。なので、多くの人が不健康に陥っているわけです。

具体的にあげつらうこともできますが、個々の良い悪いではなく、大元となる不健康要因があると思うのです。そのポイントさえつかんでいれば、ほとんどの人を不健康にできる、、、というポイントです。それもわからないように、うまく。

まさか、そんなことあるわけないじゃない、、、と思われるのは自由ですが、何らかの悪意とは別にしても、結果的に、不健康に陥るためのポイントが実践されているということは事実ではないでしょうか。

悪意ではないにしても、そうしていれば儲からるから、、、というところから来ている策略、もしくは結果論かもしれません。とは言っても不健康にされてはかないませんので、私たちは防衛の意味でも、このポイントを知っておいた方が良いのです。

通常の健康を維持する基本的なものを奪われていると、私は思っています。

長い人類史の中で、私たち人間が居たところ、その場所は、海と陸です。海辺での生活が長かった人類の歴史。体毛が抜け、水流に沿って体毛が流れるのも、また水流が直接触れない部位だけには体毛が残ったのも、私たちの祖先が海辺で暮らしていたことをうかがわせます。陸だけにいた生物の体毛が抜けるはずはありません。

その頃の人類はおそらく海でいるかと友達だったことでしょう。しかしいるかと道を別つときが来たのです。いるかは、「俺たちは海に残るよ。お前ら人間は陸に戻るのか。それも良いだろう、、、がんばれよ」という時があり、それぞれ別の道に進んだのだと思います。

まあ、勝手なたわごとではありますが、海と陸が人間の重要な居場所であったことだけは事実です。そして現代の生活は、その両方とも私たちから奪ってしまったのです。

アスファルトジャングルでの生活は、海と遠く、大地とも断絶。

具体的には、海との離別は、マグネシウムの枯渇を生みました。マグネシウムは人が生きていく上での必須栄養素です。海にたくさん含まれています。必須栄養素のどれがとくに重要かは言われませんが、私はそれがあると思っています。それがマグネシウムだと思うのです。

現代人は確実にこの栄養素不足に陥っています。要するに海と断絶されたのです。マグネシウムは海そのものだからです。イルカは去っていく時、きっと言い残したはず。「陸もよいけど、マグネシウム不足はダメだぞ、、、人間にも海が必要なんだぞ。」と。

ほとんどの酵素の働きの総元締めであるマグネシウム。これが不足すると、全酵素もカルシウムもあまり意味をなさないので、司令塔的重要性があります。マグネシウムの慢性的不足は、人間の体調の全般を容易に狂わせることができます。しかし、マスコミでも医学でもあまりそのことを言いません。お題目として、必須栄養素、、、ということではありますが、それが要であることを誰も語りません。

海との断絶によるマグネシウム不足を、まず、現代人の不調の第一位の原因にあげたいと思います。もちろん、個人差や環境差はありますが、おおむねの話しとしてお受け取りください。

次に大地と人間の関係です。ここにも明らかな断絶があります。

人体の中で、今、もっともさげすまされている部位はどこでしょう。私は足だと思います。美人でおしゃれでどこから見ても美しいのに、夏靴からちらりと除く足を見て、がっかりすることがあります。

靴を履く生活に問題があることも確かですが、靴に関した文化的背景が日本と海外では異なります。日本人はほとんどが、ぴったりのの靴よりもやや大き目の靴を選ぶ傾向があります。これは海外に比べて靴文化がまだ短いせいもあるかもしれません。靴を生理的に考えると、足と靴が一体化するぴったりの靴でないと、色々な問題が生じます。
子供や成長期のことを考えると、つい大き目の靴を購入するのは仕方ないかもしれませんが、基本はぴったりとする靴で足と一体化した方が疲れないし、足に負担がかからないのです。

日本ではつい大き目の靴を購入する方が良いだろうと思う方が多く、靴による足への不自然な負担がかかっている人が多く見られます。海外の人に比べて足がデコボコしていたり、小指が押し込められて変形するケースが多い気がします。足の変形を防ごうとして、さらに大き目の靴を選ぶという悪循環もあることでしょう。

何が言いたいかというと、日本人の場合、靴文明がまだ浅いことによる色々な誤解が足を痛め、全体の不調につながることが多いということです。

靴については選び方を工夫すれば対応できますが、大地とのつながり、という観点に立った時も、足は重要です。まず、足をきれいにしておくことで、大地とのつながりの第一歩が回復されます。

次に、足と大地との関係、アーシングでもあります。アスファルトジャングルの中で、私たちは異常な帯電状態にあります。帯電した電気は体内への雷現象を生じますし、電気系統で動く人間の全般的健康に影響を与えます。

靴をはき、大地とつながることを失い、道もアスファルトで大地と断絶。それはアーシングできない状態であると同時に、地中エネルギーを得る機会を失う日々であることを意味します。

地中にはフリー電子がたくさんあり、それを得ることで人間の元気や活動が左右されていると考えられます。

大地とのつながりを失った歴史は人類史の中でもわずか100年にも満たないことですので、100年前の人がもし今アスファルトの上に来たとしたら、立ちどころに気持ち悪くなったり、倒れてしまうのではないでしょうか。

帯電と自由電子の不足によるものです。私たちはそれを生まれてからこの方、ずっと受けているのです。高層住宅は確かに景色はきれいですが、帯電、大地とのつながりの断絶の面から、もっとも価値のないものとなるでしょう。何百万年も大地とつながって生きてきた人間の歴史の中で、わずか、戦後の70年程度で、あっという間にすべてはアスファルトジャ-グルに置き換わったのです。健康にとって、とてつもない窮状と言えます。

アーシング、及び、空気中への放電が必要になります。大地とのつながりを再び取り戻すために、足に注目しなければならないのです。病人の足は汚れているものです。大地を忘れて人は健康的に生きていくことなどできません。これが医学では一切語られもしないのです。

海とのつながりを取り戻す、、、大地とのつながりを取り戻す、、、、

この二点がまず健康を目指す人が注視せねばならないポイントです。そしてもっとも重要な天とつながる、、、の視点については、また次の機会にお話しさせていただきます。



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属 あっちの世界とこっちの世界 2018年09月22日(土)

 あっちとこっち。あっちの世界は見えない認識できない世界。こっちの世界は、今、私たちが生きていて、存在していると思っているこの世界と、それに関連するあらゆる世界のこと。前回もお話しした通りです。

あっちの世界は一切認識できない世界であり、アクセスする方法もありませんが、あっちからすべてのエネルギーが訪れ、こっちの世界を動かし生かしています。

こっちの世界は、今、私たちが見ている、また考えられる世界のことで、地球だけでなく宇宙もこっちに入りますし、四次元とか5次元とか6次元とかいうものも含む、霊界をも含む世界のことです。

本当に5次元や6次元や7次元というものがあるかどうかはわかりませんが、そんなに難しく考えなくても、あっちとこっちで十分な気がします。高次元という概念が出てくると、どうしても存在自体に上下があるような、わかりにくいものとなりますのであっちとこっちでいいのです。

人間もいつかは高次元に達し、いずれは悟る、、、という考えもあると思いますが、どんなに崇高なものに見えても、それはこっちなのです。次元が低かろうが高かろうが、こっちはこっち。認識の対象になるものは、みなこっちのものです。

あっちは認識できない、計測できない、理解できない、どんなに人間が素晴らしく高次元になっても、それでも認識できない世界があっち。

一言でいえば、無の世界です。有りて有りて有りて有る無の世界。それがあっち。

あっちのことはわかりませんが、こっちは必ずあっちと一体となって存在しています。あっちからしかエネルギーは来ませんので、こっちはあっちがなければ一瞬にして消えてしまいます。

あっちの世界を私たちは見ることも触ることもできませんし、認識することも無理ですが、あっちの世界がこっちの世界をどう生かしているかを見ることはできます。こっちの世界を存在させている、こっちの世界を動かしているその背景様があっちです。
私たちを生かし、すべてのものを存続させる背景様、、、おかげ様でもいいかもしれません。こっちの世界の働きを見れば、その背景にはあっちの力があることがわかります。

一言でいえば、昨日も言いましたように、それは命です。

命は何によって存在しているかというと、喜びです。あっちの世界の実体は命であり喜びであり、それだけです。

私たちはそれをこっちの世界の働きを見て感じ取る以外にできませんが、私たちは死ねばあっちの世界に入れます。入ることはできるのです。命はあっちのもので、こっちで死ねば命は古巣のあっちに戻ります。しかし、その際、一元の世界に戻ることとなり認識する立場がなくなるので、体験としてあっちの命そのものに戻るわけです。またこっちで死んでも意識がこっちの世界に向いていれば、すぐにはあっちには戻りません。

通常は死ねば喜びだけの命の世界に戻るわけですが、こっちの世界にも様々な命のありようがあり、意識がこっちの何かにフォーカスしてしまうと、なかなかあっちにもどらない命もあると思います。幽界や霊界もそのひとつだと思うと、わかりやすいかもしれません。宗教も残念ですがこっちの世界のものです。

ともかくあっちとこっちに共通するのが、命と喜び。これ以外にありません。わかりやすく考えた方がいいのです。

命は共通です。命はあっちのものですが、こっちに来て色々なものを作り動かし存続させます。命にエネルギーがあり、意識がそれを運びます。喜びも命と同体であり、喜びの表現が命なのだと思います。

こっちの世界を存続させているのも命と喜びですが、こっちでもそれはあっちのものですので、こっちの世界での命と喜びは、あっちと同じものなのです。

ここに重要なプレゼントがあります。こっちの世で、私たちは泣いたり嘆いたり悲しんだりひがんだり恨んだりしていますが、それらはすべて嘘であり、実体がないのです。それはこっちの世界で劣化し崩壊に入った現象であって、すべて嘘です。不幸も嘘、悲しみも嘘、、、、そんなものは本当にはないのです。

しかし命の喜びはあっちと同じです。こっちの世界でも喜びと命は本物なのです。それによってこっちの世界も存在できているのです。なので、悲しみや不幸は嘘。命と喜びは本物という、まさに福音現象がこっちの世界でも起きているのです。

意識とは、何を見ているかに尽きます。喜びと命をみていれば、私たちはこっちにいながらあっちにいるのと同じです。意識は圧です。意識したものに従って反作用が訪れます。意識が喜びなら喜びが戻ります。悲しみと嘆き、恨みなどを見ていれば、こっちの世界に幽界ができるでしょう。実際にできているわけです。

そこで人はいかに生きるか、、、ということになるわけですが、喜びと命以外は嘘だと捉えられるようになることです。その視点でこっちの世を生きれば、こっちの世もあっちと同様になるはずです。はず、、、というのは、私も到底まだ達していないので、はずと思っているわけです。そこらへんはみなさんとまったく同じか、むしろわかってない方かもしれません。

私も皆さんも、これからもきっと、こっちの世界で悲しいことに出会ったり、不幸な出来事に遭遇したり、どうにもならない恨みを抱いたりすると思います。しかし、そんな際にでも、それは嘘であると知りつつそう思うならば、ずいぶんと違ったものになっていくと思います。逆に喜んだり嬉しかったり命の躍動を感じた時は、それは嘘ではないのです。実体なのですから、くったくなく喜びそのものになればいいわけです。

悲しんでもいいけど、苦しんでもいいけど、どこかでそれを嘘と知りつつ、嘆く。喜びの時は素直にあっちの世界を味わう。そんな風に生きていけば、私たちはそんなには道を大きく間違わない気がします。
 

あっちの世界とこっちの世界、、独り言 2018年09月20日(木)

私たちが暮らすこの世界、地球、宇宙があります。もう一つ、目に見えない、測ることもできない、認識できない世界がなくてはおかしいのです。

私たちが暮らす世界をこっち。見えない認識できない世界があっち。

目に見える世界があるということは、それを生じしめた見えない世界がなければおかしいのです。有から有が生まれることはありません。有は無からしか生まれないからです。

こっちの世界には、人が住み、動物も植物もあり、食べ物も水も音も電気もある、私たちが実在と思っているものすべてがそろっています。

その中には、一見、あっちの世界に属するように見えて、実はこっちの世界の物であるものがほとんどです。例えば、思考や思想や宗教。そして、霊や高次元の世界と呼ぶ一見形而上的なことまで、実はこっちの世界のものです。

なぜなら、それは認識できるものであり、何等かの定規で規定できなくないものだからです。神は高次元の世界にいる、、、という話しはよく聞きますが、こっちの世の低次元もこっちの世の高次元も同じこっちのことになります。

認識できるもの、認識の対象にしようとするものは、すべてその時点において、こっちの世界に属しているのです。

では、私たちはあっちの世界を認識することは永遠にできないのでしょうか。認識できるものはすべてこっちの世界のものなので、できないといえますが、認識できないまでもひとつだけ、あっちの世界と共通するものがあります。

それは「命」です。こっちの世界で命を失うことを死と思っている私たちですが、命は死ぬことはありません。命はあっちの世界のものだからです。命をこっちの世界のものだと思うところに、根源の間違いがあります。

命はあっちのものなのです。あっちは命そのもの。私たちはこっちの命が死んだように見えて、あっちの世界に戻るだけ。もともとあっちから来た命なのです。

こっちとあっち。ふたつの世界を本当に知るには、命を通す以外にありませせん。

本来、こっちの世界とあっちの世界は重なって存在しています。すべてはあっちからくるのですが、こっちはあっちと重ならない限り、継続できません。

常にエネルギーはあっちからしか流れてこないので、それが途絶えたらこっちの世界で一秒たりとも生きることはできないのです。私たちの命に限らず、すべてのものを存続させるエネルギーはあっちから訪れます。

あなたもあなたの服も、手にしているペンシルもプラスティックの下敷きも、家もビルも道も、あっちのエネルギーを得ない限りすべては一瞬にして消えてしまうのです。

すべてはあっちが生み出した命です。人にも物にも命が宿っています。その命はあっちのものですから、あっちと関係が途絶えたらすぐにこっちの世界の命は消滅します。

元々、命しかなかったということでもあります。有りて有りて有るあっち。要するに命です。こっちの世界の事柄もすべて、あっちの命あってのものですから、こっちのあらゆる現象や存在の意味なども、命という視点から捕えることしかできないのです。

幽界も霊界もこっちの世界です。お化けの世界もこっち。こっちでの命のこじれ方として捉えるとわかりやすいです。霊界もそうです。すべて認識しようとした時点でそれはこっちのものとなります。

命だけはわからない。命の出どころも、なぜそうなるのかも、命は何かは永遠のこっちの世界ではとらえられない不思議なのです。

では、認識できないのなら、あっちにアクセスすることは不可能に思ってしまいます。しかしそうではないと思います。あっちは認識できない世界。すなわち無の世界です。こっちの世界で言う無は、あったものが無くなる無ですが、本当の無はすべてを生み出す無です。その無は、思うことでも希望することでも考えることでも到達できない無。

しかし、こっちの世界でも共通する無はあるので、無になりきれば、その時、私たちはあっちの世界とかさなる地点にいることになります。あらゆる病気はその無と一体化することで治ると思います。もちろん私にはできないことなので偉そうには言えませんが、死んだらあらゆる病気が治るように、無になれば同じことが起こるはず。無はエネルギーそのもの、命そのものだからです。

何も考えない、無の意識圧よりも高いものはありません。命は一つの意識圧も同じことです。命はひとつ、、、あっちは命だけの世界、、、無。

考えてばかりいる人はエネルギーを失うのです。無、無、こっちの無ではなくてあっちの無。命がどこから来たかなんて、誰も分からないように、無は命と同じ。私たちは誰一人も欠けることなく、あっちの無、命によって生かされていることになります。

無になりきる、、、命になりきる、、、命そのものになりきる、、、子供が比較的元気でいられる理由です。

誰でも赤子のようにならなければ天国に入ることはできない、、、、イエスの言葉です。命の世界に入るには、無しかない。命に成りきるしかない。

永遠性の体現された芸術から学ぶのも良いかもしれません。意識改革です。意識は無や命とどう関係するのか、、、また、次回お話しさせてください。

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